2015年5月のテーマ写真館




 《 カリブ海の島々part2 》


コロンブスによる発見以来、ヨーロッパ諸国による植民、中南米から金銀財宝を運ぶスペイン船を襲う海賊の隠れ家・・・さまざまな歴史を経て、現在の爽やかなイメージのカリブ海があります。島毎に国や地域が異なり、多くの文化が混在しますが、カリブの太陽に照らされて明るく、清々しいサンゴ礁の島々ばかりです。以前にご紹介した 「カリブ海の島々part1」 に続いて、潟{ルボックスにストックされているカリブ海の島々をご覧下さい。

関連書籍
「海の名前」(東京書籍刊)中村庸夫・著
「島の名前」(東京書籍刊)中村庸夫・著
「七つの海の物語」(データハウス刊)中村庸夫・著

コンク貝漁師、ナッソー、バハマ諸島

リトル・サンサルバドル、バハマ諸島

流砂、ビミニ、バハマ諸島


ビーフ・アイランド、ヴァージン諸島

マリーナ・ケイ、ヴァージン諸島

虹と帆走客船、ヨスト・バン・ダイク


アカウミガメとコバンザメ、グランドバハマ

オオメジロザメとコバンザメ、グランドバハマ

バンドウイルカ、グランドバハマ


ルカヤ、グランドバハマ

バルバドス

ピンク・サンド・ビーチ、バミューダ


マルティニーク

モロ要塞、オールド・サンファン、プエルトリコ

ロアタン、ホンジュラス


 ◆ 海の一言 :『ピトケアン島』


ピトケアン島は仏領ポリネシアと南米との間にある島で、映画にもなった「バウンティ号の叛乱」で世界的に知られます。バウンティ号は1788年、艦長ウィリアム・ブライ、副官フレッチャー・クリスチャン以下46人を乗せてにタヒチ島に到着しました。パンノ木などを搭載するために滞在中、クリスチャンは現地の女性と恋に落ち、他の船員も楽園での生活を楽しみました。 翌年タヒチを出航したバウンティ号ではブライ艦長の横暴さや、生活環境の悪化などからクリスチャン以下12人が反乱を起こし、ブライらを救命ボートに乗せて追放し、楽園のタヒチ島に戻りました。 そして一部の人はタヒチに残り、クリスチャンを筆頭に8人はタヒチの男女、乳児などを船に乗せ、無人島ピトケアン島に到着し、バウンティ号を解体し、その資材を活用して生活を始めました。その後230年以上を経て、現在はバウンティ号の反乱者との間に生まれた子孫50名足らずが生活する、絶海の孤島です。島はアメリカ独立戦争で戦死をとげた英国海軍のロバート・ピトケアンによって、発見されたため、彼にちなむものです。

バウンティ号のアンカー

ピトケアン島

フレッチャー・クリスチャンの子孫




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