2015年1月のテーマ写真館




 《 芝浦アイランド 》


山手線の田町の東側一帯はその昔、江戸湾(東京湾)の浅瀬だった所で「芝之浦」と呼ばれ、海苔の養殖に使う枝の「ひび(柴)」が並んだ海であることから「芝浦」となった、ともされます。沿岸部の漁村は、「雑魚場」と呼ばれ、芝浦界隈で獲れた魚が江戸前の芝肴(しばざかな)として広く出回り、将軍にも献上されたそうです。「芝海老」は地域ブランド名で、芝浦で養殖・加工された海苔は浅草に運ばれて、「浅草海苔」のブランドで取引されました。芝浦界隈は中世から江戸湾の海運拠点でもあり、戦国時代には北条氏の縁戚の水軍拠点ともなったそうです。幾多の歴史を経て1912年(明治45年)に隅田川河口の改良工事が始まり、浚渫した土砂を芝浦地区に運んで埋め立て、1932年(昭和7年)に貨物船専用の芝浦桟橋が完成し、近代海運の拠点となりました。更に時代を経て、高度経済成長で過密化した都心の混雑を緩和するため、1990年代以降は、汐留や品川など沿岸部と共に、沖合の埋め立てによる大規模再開発による東京臨海副都心計画が進められ、芝浦とお台場を結ぶレインボーブリッジが建設され、新交通システムの「ゆりかもめ」も開業しました。芝浦の沿岸部には2007年に高層ビル群「芝浦アイランド」が竣工し、高さ160m程の高層マンションが林立し、東京港入口の景観が一変しました。芝浦アイランド43階、地上150mの潟{ルボックス・新事務所から望む東京港に出入りする船や、対岸のお台場の景色をお楽しみに、是非お立ち寄り下さい。


船の科学館と自動車運搬船

練習船・銀河丸

客船ターミナルとにっぽん丸


遊覧船

行き交う船

消防艇


貨物船

ぱしふぃっく びいなす

ジェットフォイル


東京ゲートブリッジ(恐竜橋)と房総半島

レディクリスタル

遊覧船


お台場の花火大会

窓から望む花火の火

花火と屋形船


お台場のイルミネーション

屋形船

イルミネーション・アイランド


晴海ふ頭と満月

芝浦アイランドから望む夜景

雨の日の客船と花火


 ◆ 海の一言 :『台場』


江戸末期1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊の蒸気船が初来航して開国を迫ったのに脅威を感じた幕府が、外国船を迎え撃つための砲を載せるため、高輪の八ツ山や御殿山を切り崩して埋め立て、築いたのが「台場」で、洋式の海上砲台となりました。1854年にペリー艦隊が2度目の来航の際に品川沖まで来たペリーはこの砲台を見て脅威を感じ、横浜まで引き返して上陸したそうです。台場は石垣で囲まれた正方形や五角形の洋式砲台で、開国までに8つの台場が建設され、正式には「台場」であるが、建設した幕府に敬意を表して「御台場」と呼ばれました。台場は敵船を正面から砲撃するだけではなく、側面からも攻撃を加え、十字砲火を浴びせられるように配置されたが、砲台は一度も火を噴くことなく開国することとなりました。その後の臨海部開発や東京港の拡張に伴い多くの台場が撤去され第三台場と第六台場だけが保存されています。

第三台場

第六台場

第六台場




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