2011年8月のテーマ写真館




 《 世界遺産の小笠原諸島 》


世界自然遺産に登録された東京都の小笠原諸島は、日本列島から約1,000km離れた海域に、南北約400kmに渡って点在する大小約30の亜熱帯の島々の総称です。父島、母島、聟島の3列島からなる小笠原群島、火山(硫黄)列島や遠く離れた沖ノ鳥島、南鳥島など孤立島からなり、すべての島の面積を合わせても約105平方kmで、伊豆大島よりやや広い程度です。小笠原諸島は、どの島も大陸と陸続きになった歴史がない海洋島のため、独自の進化をとげた固有の動植物が多いことで知られ、「進化の実験場」、「東洋のガラパゴス」などとも呼ばれます。 現在では、父島、母島の2島に人が生活し、それ以外は無人島で、美しい海での、ホエールウォッチングやドルフィン・スイム、ダイビングなどが人気です。海の写真のボルボックスには小笠原諸島の様々な写真が豊富にストックされています。


聟島

父島

母島


切り立った岩山

ザトウクジラの親子

バンドウイルカ


バンドウイルカ

クロアシアホウドリ

ヤコウタケ


ユウゼン

イソマグロ

ピグミーシーホース


テングダイ

ヒレナガカンパチ

ミズタマヤッコ


ミカドウミウシ

ジガミグサ

オオバロニア


 ◆ 海の一言 :『小笠原』


1593年 小笠原貞頼が探検して発見したという説があり、1727年に貞頼の子孫と称する小笠原貞任が島の領有権を幕府に求めて訴え出た事から、江戸幕府は小笠原と呼ぶようになりました。その頃、スペイン船やアメリカの捕鯨船、フランス船などが立ち寄り、日本から渡った人に加え白人が移り住み、昔は無人島であった事から「無人島(ぶにんじま)」と呼ばれ、それが英語で「Bonin Island」(ボニンアイランド)と称されていました。米英仏露の各国が領有を主張したため、幕府は咸臨丸を派遣するなどして領有権をアピールし、明治9年(1876年)になってやっと日本の領土と認められ、正式名称が「小笠原」となったのです。

教会

咸臨丸



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