2007年09月のテーマ写真館




 《 チャタム諸島(Chatham Islands)・ニュージーランド 》


チャタム諸島(チャサム諸島)はニュージーランド南島のクライストチャーチから東方800kmの南太平洋上に浮かぶ面積90kuのチャタム島(チャサム島)と、さらに南東に浮かぶ面積6.2kuのピット島など10あまりの島々や岩礁からなります。ポリネシアから航海してきたモリオリ族が13〜15世紀頃に、Rekohu Wharekauri=チャタム島やRanglauriaと呼んだピット島に住み着きました。族長は、争議を禁止し、資源保護のために若いオットセイや雌の狩猟を禁じました。ところが1791年に、イギリスの軍艦チャサム号が荒天避難のため、島に立ち寄り、船長 ウィリアム・ブロートンが島を国王ジョージ3世の植民地と宣言し、船の名前を取ってチャタム諸島と名付けました。白人は武器や、病気などを持ち込み、オットセイをほぼ絶滅させ、モリオリを奴隷として扱い、さらにイギリスの船が、連れてきた戦闘的なマオリたちが土地を奪い取りモリオリを迫害し、絶滅に追いやりました。
チャタム島はなだらかな起伏に富み、湖が点在し、現在の主な産業は羊や肉牛の放牧と漁業です。小説家、ジュール・ベルヌ(Jules Verne)が訪れ、調査したことがあり、彼の傑作「15少年漂流記」に出てくる場面がこの島に酷似するため、その舞台のモデルになった島ではないか、とされます。


チャタム諸島の切り立った無人島

チャタム諸島の島々

小さな岩礁


変則的な格好の岩

大海原にポツンと浮かぶ岩

たくさんの岩礁や小島


平らなチャタム本島

イセエビをより分ける

水揚げされた各種の魚


チャタム本島の海岸

海底には巨大なウニがびっしり

本島付近の海中

鮮やかなイソギンチャク

足が2本多いヒトデ

ブルーコッド

巻貝の一種

岩の隙間にはアワビがたくさんいた

海藻などを付けたカニ


 ◆ 海の一言 :『ニュージーランド〜New Zealand〜』


10世紀にポリネシア人によって発見され、その後1350年に7隻の大型カヌーで入植が行われました。マオリ族はアオテアロアao「雲」tea「白」roa「長い」で、「白く長い雲がたなびく土地」と呼んでいたそうです。1642年にオランダの探検航海家アベル・タスマンが来島し、オランダ南西部のゼーランド地方の名に「新」をつけて、zee「海」land「土地」で「新しい海の地」と名付けました。1769年にイギリスのキャプテン・クックによって測量・探査が行われ、英語に訳されてNew Zealandと呼ばれるようになりました。



海の写真のボルボックス  © 中村庸夫 無断転載を禁止します。