2005年4月のテーマ写真館




 《 北方四島 》


北海道の根室半島から北に連なる島々で、第二次大戦後はロシアが実質支配していますが、我が国固有の領土として返還交渉が行われています。島々にはアイヌの人々が住み、原住の言葉で「エトロフ」と呼び、「岬の多い島」との意味の択捉島、アイヌ語で「キナ・シリ」、「草の島」という意味の国後島、アイヌの言葉で「シ・コタン」、「大きい島」や「本当の集落」の意味の色丹島、アイヌ語の「アプ・オマ・イ」で「流氷の中にあるところ」という意味の歯舞諸島などです。西洋人としては、1643年にオランダのド・フリースが島々を発見し、ロシア人は1766年にイワン・チョールヌイが到達しています。1798年に近藤重蔵が択捉島に「大日本恵登呂府」の碑を建て最初の領土宣言を行いました。島々の大部分が広大な原生林に覆われ、手つかずの自然が残されています。


択捉島には豊かな自然が残されている

切り立った断崖の上に民家が並ぶ(択捉島)

南北203km、最大幅30kmと北方四島中、最大で沖縄本島の3倍の面積をもつ(択捉島)


択捉島の河は鮭で満ち、獲りきれない程の量だ

鮭は次々とコンベアーで運ばれてくる(択捉島)

まともな港や加工施設などが無いため、人力作業でサケが加工され塩漬けにされる(択捉島)


択捉島の若い女性

鮭の加工の合間に休む人々

まともな港が無いため砂浜に上陸する


色丹島と漁船。縄文式の土器や貝塚が出土している

全島が原生林や高山植物に覆われます(色丹島)

歯舞群島は「志発島(しぼつとう)」「水晶島(すいしょうとう)」「貝殻島」「多楽島」「勇留島(ゆりしま)」「秋勇留島(あきゆりとう)」などからなる

流氷の中に浮かぶ国後島

根室海峡を挟んで知床半島の東に浮かぶ佐渡島の2倍近い国後島

朝焼けの国後島


 



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